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コラム 牧師の書斎から

2023年4月16日 澤村信蔵

 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(Ⅰコリント15章55~57節)

 愛する者の死というのは、寂しく悲しいものです。俳人、小林一茶は「露の世は 露の世ながら さりながら」と詠みました。この詩は、幼いころに母を亡くし、父を看取り、また、自分の子どもたちを次々と失うそんな経験をした後に詠まれたものです。この世の中は、露の世です。本当にはかなく消えていきます。この地上にはずっととどまれないことは、百も承知です。あきらめるしかないことはわかっています。それでも、「さりながら」なんですね。わかっていても、どうしようもない押し寄せて来る痛み、悲しみがあるのです。

しかし、主イエスを信じる者は違います。この詩に勝利することができるのです。愛する人を失う痛み、悲しみは同じように押し寄せて来ます。しかし、それで終わりではない。それ以上に、確かな希望があります。愛の神が、御国へとその人を迎えいれてくれているならば、私たちの心も御国への希望で溢れるのです。そして、これまで以上に、御国が近くなる。神様が近くなるのです。やがて、この地上の生涯を終えて、神様の時に、私たちも死を通り、そして、御国へと引き上げられていくのです。そして、永遠に神とまた、愛する者とともに過ごすのです。この地上は、確かに露の世です。しかし、永遠の御国において、再会できるからこそ、私たちは今日も希望を持って歩んでいくことが出来るのです。