ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2023年7月2日 澤村信蔵

キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。(ピリピ2章5~8節)

 今、祈祷会ではイザヤ書を読んでいますが、14章のところに、サタンが堕落して堕天使になった様子が描かれています。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』(13~14節)神のようになりたいと高ぶって、天から落ちてしまったのです。この姿こそ罪の本質です。最初の人アダムが、神のようになれるという誘惑にあい、食べてはいけない善悪の知識の実を食べたように、神のように偉くなりたい、自分が一番でありたいという欲求は私たちのうちにも確かにあるのです。でも、これとは全く違う生き方をされた方がおられます。それはイエス様です。イエス様は、上へ上へではなくて、むしろ下へ下へと進まれた。神であるのに人の姿を取り、最後には十字架の死まで従われた。こういうイエス様だからこそ、私たちがどん底の状態にあっても、そこに主は来てくださり、そこで愛と恵みと励ましを受けることが出来るのです。私たちもこのイエス様のように互いに仕える者とならせていただきましょう。