ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2023年8月27日 澤村信蔵

イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主はイスラエルの子らのために一人の救助者を起こして、彼らを救われた。(士師記3:9)

 昨日の聖書を学ぶ会では、士師記を皆で一緒に読みました。士師記には、ヨシュアの死からサムエルが生まれる前までのイスラエルの歴史が記されています。全国を統一する政治的指導者も現れず、国民を統治する機構もできていませんでした。そんな状況下で民は好き勝手にしていたのです。士師記全体を現すかのように最後に書かれていますが、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」(21:25)のです。その結果、民は何度も神に背き、偶像礼拝と不道徳に陥り、危機に陥るごとに、神がさばきつかさを遣わし、民を救ってくださることが繰り返されました。12人の士師が登場するということは、最低でも12回これらのことが繰り返されるのです。だから、ヨシュア記が勝利の書と言われるのに対して、失敗の書とも呼ばれます。そういう中で、私たちが確認したことは、イスラエルの罪が繰り返される中で、神の恵みも繰り返されているという事実です。何度でも何度でも神様は彼らを救って下さるのです。これは、私たちにとっても救いです。イスラエルを何度も立ち上がらせてくださった神様は、私たちをも立ち上がらせてくださるからです。「正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。」(箴言24章16節)とありますが、神がキリストの十字架の故に正しいと言ってくださる私たちは何度つまづいても、自分で起き上がるのではなく、神様が何度でも私たちを起こしてくださるのです。