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コラム 牧師の書斎から

2023年9月24日 澤村信蔵

 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」ピリピ2章6節

 金曜日までJCE7に行ってきました。本当は、集会の恵みの分かち合いをさせていただければと思うのですが、私自身は裏方の奉仕で、ほとんど集会には出れませんでした。わずかしかみことばに触れることができませんでしたが、その中で印象に残っているのは、私たちがひとつとなっていくためには、違和感、もっというと不快感を嫌がらないということでした。宣教協力をしていく時、特に、だれかを受け入れていく時には、こちらの不快感をゼロにしようとしてはいけない。そうすると、私たちは、異質な人たちを拒絶するか、もしくは、その人たちが我慢するしかないのです。でも、それは、果たして福音的なのでしょうか?私たちと同じ人を作る。そういうステレオタイプの人でないとダメ・・これはまさにこれまでの日本の教会だったように思います。そうではなくて、その人をその人のありのままで受け入れていく。だから、当然そこには、不快感は残り続ける。そのことを嫌がらないで、でも、主を見上げて、一つとなっていくのです。イエス様ご自身は、私たちのために、神のあり方まで捨てるとは思われないで、私たちと一つとなるために来て下ったのです。違和感、不快感をいとわずに私たちのところへ来てくれました。だから、私たちも、違和感、不快感をいとわずに、主のために、一つとなることを目指していきましょう。