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コラム 牧師の書斎から

2023年10月8日 澤村信蔵

 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。(ローマ5章20~21節)

 先日、ジャニーズ事務所の会見がありました。その中で驚いたのは、「痕跡を一切なくしたい」とまで述べたことです。確かに、過去に起きた出来事の大きさや、被害者心情を考慮するなら、社名を変更することはやむを得ない正しい選択だったと思います。でも、一人の人の痕跡を一切なくすことは果たしてできるのでしょうか? 出来るはずがありません。私たちが行ったことはどんなことであれ、消すことはできないのです。)

 事実、聖書は過去の過ちを一切隠そうともしません。アブラハムは、自分の身をかばうために、自分の妻に2度までも妹だと偽らせました。モーセは、40歳の時、同族のへブル人を打っていたエジプト人を怒りのあまり殺してしまいました。ダビデは、ウリヤの妻バテシェバと姦淫の罪を犯し、その行為の結果できた赤ん坊を隠すために、最後にはウリヤを死へと追いやりました。偉大な人ばかりですが、神はこれらのことを隠そうとはしないのです。むしろ、それらの失敗、過ちがあったからこそ、成長し変えられることを高らかに証しするのです。私たちもそうです。どんな罪があっても、それを消し去れることはできません。でも、神はキリストの十字架の故に、豊かに赦してくださいます。そして、その過去の過ちでさえも、あなたの人生にとって益へと変えてくださるのです。