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コラム 牧師の書斎から

2023年10月22日 澤村信蔵

 まことに、神である主はこう言われる。「見よ。わたしは自分でわたしの羊の群れを捜し求め、これを捜し出す。牧者が、散らされた羊の群れのただ中にいるときに、その群れの羊を確かめるように、わたしはわたしの羊を確かめ、雲と暗黒の日に散らされたすべての場所から彼らを救い出す。(エゼキエル34章11~12節)

  聖書には、神の民が、まことの牧者である神様から離れてしまい、ひどい目にあわされているシーンが沢山出てきます。そういう面で見ると、神の民であるはずのイスラエルは今も神から離れている状況だと言えるのでしょう。でも、そういう中にあっても、神様はいつも失われた者を捜し、追いやられた者を連れ出し、救いだすのです。多くの預言者たちもそのような中で神に遣わされた者として、神とともに、羊の群れのために仕えました。そして、イエス様は、まさに羊を捜し、救いだされました。ヨハネ4章では、たった一人のサマリアの女を救われました。悪霊に取りつかれた人を救うために、ガリラヤ湖を超えて、ガラサにまで来られました(ルカ8章)。一人の羊を救うために、九十九匹を残していかれるのです。たった一人のためでも、特に助けを求めている人に近づき、助けられるのです。そういうイエス様の姿、また神様の姿を思い起こす時、私たちもこの世にあって、そのイエス様の思いを行う者とさせていただきましょう。一人の人を救うために、一人の人に寄り添い、耳を傾ける必要があるのではないでしょうか?