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コラム 牧師の書斎から

2023年11月26日 澤村信蔵

 主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを試みるためである。六日目に彼らが持ち帰って調えるものは、日ごとに集める分の二倍である。」(出エジプト16章4~5節)

 イスラエルの民が、エジプトを出た時に、食べ物のことでつぶやきます。その時に、エジプトでは、満ち足りるまで食べていたのにとまで言うのです。彼らは、奴隷であり、そんな経験がないとまでは言いませんがいつも満ち足りていたはずはないのにです。そんな彼らのつぶやきに対して、神様はマナを与えると約束されます。この約束は、彼らが荒野の生活が終わるまでずっと続きます。そして、神は、マナに対する態度によって、人の心(信仰)を確かめると語るのです。その態度とは、「毎日1日分(4節)・早朝(21節)・1オメル・自分の分だけ(16節)6日目は翌日の分も含め2オメル(22節)」、これらに忠実であるか否かでどうかです。つまり、毎日、マナは必要な分だけ集めることが必要なのです。このマナはみことばを象徴してると言われます。日々のみことばに対する態度が、私たちも問われています。みことばは一回食べたらもう十分ではないのです。みことばに親しむ一番の方法は、わずかの時間を見つけてでも、聖書を読むことです。聖書を読むと、聖霊の命が活動し、霊のパンへの食欲を起こします。反対に、みことばを読まないと、霊の命は弱り食欲が失われます。毎日、少しでも構いません。五分でも、十分でもみことばを日々味わいましょう。