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コラム 牧師の書斎から

2024年1月14日 澤村信蔵

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。(ピリピ3章12~14節)

 新しい年、能登半島地震が発生し、多くの痛みを経験し、また今もその戦いの中にある方がおられます。この年どうなるのかと思わされます。でも、実はこの年だけじゃないですね。私たちはこの世にいる限りいつも試練や戦いがあります。そして、その試練を乗り越えるごとに私たちは成長していくのです。しかし、どんなに成長をしたとしても、この地上で生きている限り、完全にされることはないのだと思います。罪を犯さない者にはなれないし、失敗をしないで過ごすこともできません。試練があれば、悩みの森に入ることもあります。でも、だから、もう無理とあきらめるのではなく、大切なのは、完成を目指して進むということではないでしょうか?パウロは、ただ捕らえようとして追及していると述べています。私たちもそうありたいですね。そういう意味では、私たちはいつまでも求道者なのです。イエス・キリストが歩まれた道をとことんまで追求していく。それこそが私たちなのです。この年も、主ご自身を目指して、ともに成長していきましょう。

そのことを目標に、この1年もともに主を礼拝していきましょう。