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コラム 牧師の書斎から

2024年1月28日 澤村信蔵

ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、主の民イスラエルの君主に任じられた主の前だ。私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」(Ⅱサムエル6章21~22節)

 昨日の聖書を学ぶ会では、第二サムエル記を一緒に読みました。第二サムエル記はダビデ王の治世の記録です。ダビデは最初、ヘブロンでユダの王となり、その後イスラエル全土の王となります。エルサレルムを首都とし、契約の箱を運び移しました。

 聖書が通常の王の歴史書などとは違うところは、成功だけでなく、多くの失敗をも記していることです。特に、バテ・シェバとの姦淫の罪は、その後の様々なことに影響を与えました。そして同時に、失敗をしても悔い改めて豊かに赦さることを示しています。

 ダビデの人生を一言でいうならば、いつも神とともにいた人生です。その一つは、6章に記されている出来事です。契約の箱をエルサレムに運ぶことが出来た時、ダビデは大喜びで踊り歌いました。はしゃぎすぎて裸になったようです。その姿を妻ミカルは軽蔑しましたが、ダビデは、まさにそのことを誇るのです。主の前であれば、どこまでも、自分が卑しめられてもいいのです。神さまだけがすべてでした。

 このダビデの姿は本当にすばらしいですね。私たちはどうでしょうか?周りの目を気にしますか?それとも、神様の目だけを気にしますか?