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コラム 牧師の書斎から

2008年5月18日号 小平牧生師

五月は「こどもの日」や「母の日」をはじめ、「家族」について思う機会が多くありますね。

私たちに、自分が生まれてくる前からその誕生を楽しみに待っていた家族がいたように、私たちにはもう一つの家族、神の家族である教会があります。家族なしに子どもの存在はないように、教会なしに私たちは神の子どもとして生まれることはあり得ませんでした。もし誕生しても、そこに迎えてくれる家族がなければ、その子どもは受けるべき愛をどのようにして体験できるでしょう。同じように、神様は私たちが神の子どもとして生まれ、愛され、育てられるための家族を与えられたのです。

私たちは人生のある一時期には、家族の意味や価値を感じられない時があります。私もかつてそうでした。自分は一人がいいと思い、家族のことを面倒くさく、今の言葉でうっとうしく邪魔にさえ思ったことさえあります。他人であれば傷つかないことも、家族だから傷つけあうことがあります。そして家族よりも友人を大事にするようになりますが、しかしそれは家族の代わりにはなりませんし、事実それは家族ではないのです。友人と家族。いったい何が違うのでしょうか。それは、家族は神様から一方的に与えられたものであることです。友人なら自分で選ぶことができます。むしろよい友人を選ばなければなりません。しかし家族は与えられたものです。神様の選びを受け入れるのです。教会はそういうものです。仲のよい者同士が集まっても教会にはならないのです。選ばれた者たち、備えられた交わりなのです。そのことをいかに大事にできるかが問われていると思います。残念なことに教会を離れる人がときどきおこります。その原因はいろいろです。うっとうしく思う時があるのかもしれません。しかし私たちは祈りながら、そして家族としての自分の足りなさを覚えながら待ちます。

私たちは神様が選ばれた家族なのですから。