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コラム 牧師の書斎から

2008年6月8日号 小平牧生師

「殉教者の血は福音宣教の種」と言われますが、実は日本でもカトリックの人々から私たちホーリネス教会の先輩たちまで、多くの殉教の血が流されています。

日本で最初の殉教記録は約400年前の1597年のカトリック「日本26聖人殉教」の出来事です。その中の一つのエピソードを紹介します。

その日、26名のキリシタンは処刑の執行責任者である長崎奉行の寺沢半三郎に引き渡されました。彼はその囚人を見て心が痛みました。なぜならばその中に3人の少年がいたからです。とりわけ元気でいたいけな12歳のルドビゴ茨木を見ると彼の心は重たくなりました。彼は何とかしてルドビゴ茨木を助けようと思って言いました。「お前の生命は私の掌の中にある。もし、私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ。ただし、キリシタンを捨てることが条件だぞ。それ以外のことは何でも許してやろう。大目に見る。しかし今のままの信仰ではだめだ。俺の養子になれば、あともう50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着れる。そのうえ刀を差して武士になれるぞ。」しかし、ルドビゴ少年は半三郎の目をしっかりと見てこう言いました。「そうしてまで私は生きのびたいとは思いませぬ。なぜなら、終わりなき永遠の命を、たちまち滅びるつかの間の肉体の生命とは代えられないからです。御武家さま、あなたのほうこそキリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソにおいでなさるのが、ずっと良いことです。あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国にまいりましょう。」

この12歳の少年が天の御国を見ていたことがわかります。自分が何者であるかを知っていたのでしょう