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コラム 牧師の書斎から

2011年10月9日 小平牧生師

牧師になるためには、必ずしも神学校や聖書学院を卒業しなければならないわけではありません。反対に、神学校を卒業した人がすべて牧師になる、あるいはなれるわけでもありません。

牧師になるためには次の三つのプロセスがあります。一つは「神様の召命」です。何よりもまず最初に、それは神様から出ていることかどうかということが大事です。つまり、牧師の場合は、「私にさせてください」という立候補制でも、「あなたになってほしい」という推薦制でもありません。どんなに能力があっても、神様の召命のない人は牧師になれませんし、なってはいけません。しかし、神様の召命を感じる人は、まずは祈ってみましょう。ですから、二つ目には「信仰の応答」です。このことを一般的に「献身」と言います。神様の召命に信仰によって応答し、自分の願いや計画を捨てて、自分の生涯を明け渡してしたがっていくのです。この中に、必要に応じて神学校で学ぶことが含まれます。では、「神様の召命」と「信仰の応答」はどのように確かめられるのでしょうか。本人がそのようにあかしすれば認められるのでしょうか。そうではありません。そこで、三つ目に「教会の承認」が必要となります。「この人は神に召された人である」ことを承認するのは、本人でも神学校でもなく教会です。神様の召しとそれに対する信仰を審査して、教会はその人に按手をして牧師とします。地方教会における按手は公同の教会を代表する按手であり、ペンテコステ以来2000年の歴史と世界大のキリストの教会としての業です。

なぜこのようなことをあらためて書いたかと言えば、近年、教会や教団で問題を起こしたためにそこから牧師職を解かれた人が、その専門知識と専門技術?を活かして牧師として活動する例が増えているからです。外国から来る例もあります。そしてその中からカルト化していく事例もあります。牧師が言うのは変ですが「牧師だからといってみな信用してはいけません」。