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コラム 牧師の書斎から

2013年3月3日 澤村信蔵師

もうすぐイースターを迎えます。31日にイースター及び召天者記念礼拝を行います。そして4月6日は、成増イースター春祭りを行います。昨年と同様に、屋台を出し、アーサー先生と木村さんのプロレスやピエロのようへい君など楽しい時を過ごします。主がよみがえってくださったイースターをともにお祝いしましょう。また皆さんの協力がなければ来られる方をもてなすことは出来ません。ぜひご協力をお願いします。

復活は喜びです。でも、その前には、十字架があります。イエス様が語られた十字架の言葉の一つが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23章34節)というお言葉です。イエス様の生涯は、「人の子は枕するところもない」というほど、苦難に満ちた生涯でしたが、十字架は、その極みでした。血の汗を流すほどの祈りの後に、徹夜の裁判にかけられ、心も体も疲れ切ったところに、鞭打たれ、皮膚はさけ、骨が見えるほどになっている体に、十字架をかつがされて、ゴルゴタへ向かわれました。茨の冠をかぶり、両手両足に太い釘を打たれて、十字架に磔にされたのです。想像もできませんが、気も狂いそうな痛みと苦しみだったでしょう。しかし、その苦しみの中で、主の口から出た言葉は、「彼らをお赦しください。」という言葉でした。しばらく前には自分を歓迎していた人が、今は、自分を裏切り、命まで奪い、それだけでも飽き足らず、辱めをも与えようとしているのです。でも、「彼らをお赦しください。」と祈られたのです。私たちは、人を赦し受け入れることに難しさ、困難を覚えます。赦したと思っても、しばしば過去のことが思い出されます。だから、イエス様は、数々の祈りの中で、「神に自らの罪の赦しを求めることと人の罪を赦すこと」を祈るよう教えられました。そして最後には、彼らをお赦しくださいと祈ってくださいました。イエス様の祈りこそ、真実な赦しのお言葉です。そしてこの祈りは誰のためにささげられたのでしょう。ほかならぬ私たちのためです。赦しは決して人間の力ではできません。でも人間の力を超えた主イエスの祈りに触れる時、私たちも赦す者となることが出来るのではないでしょうか。