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コラム 牧師の書斎から

2013年3月31日 澤村信蔵師

「完了した」(ヨハネ19章30節)これは、イエス様が十字架で語られた7つの言葉の中で最も短い言葉です。でも、とても大切な言葉です。誰も成し遂げることが出来なかった大事業の完成を告げる言葉だからです。イエス様は、私たち一人一人の罪を背負い、身代りになって死に、神に裁かれることによって、救いを完成されたのです。十字架の道を突き進み、救いを完成すること、これこそイエス様がこの地上に来てくださった目的です。だから、サタンは、何とかしてこの目的からそらそうと誘惑しました。40日40夜荒野で断食した時の誘惑も、十字架以外の方法によっても救いをもたらすことが出来るというものでした。石をパンに変え必要を満たすことや、神殿の頂から身を投げても傷なく現れるという誰にも出来ない奇跡を行うことや、サタンを拝みサタンから地上の支配を委ねてもらうこと、これらすべては十字架以外の救いの道の提示です。イエス様はそのすべての道を拒絶し、十字架の道を選ばれたのです。そして、十字架以外の道の誘惑のその最後の戦いが、ゲッセマネの園での祈りの時です。十字架を拒絶したい誘惑にかられながらも、神のみこころは十字架の道だと奮い立って歩んでくださったのです。そして、痛み、苦しみの極みを味わい尽くし、この十字架を通して救いが完成したということを知って叫ばれたのが、「完了した」という言葉です。

救いはあの2000年前イエス様が、十字架にかかって「完了した」と宣言された時に、すでに完成されています。私たちはただその恵みを感謝して受け取るだけなのです。私たちに何一つ誇るものはありませんが、キリストを救い主と信じ、受け入れるだけでこの完成した救いが与えられるのです。そして、「完了した」というのは、十字架のみわざが完了したというだけにとどまりません。十字架に勝利されたその時、3日後によみがえることも決定づけられたのです。そして、信じた私たちも死んでもよみがえるそのことが決定づけられたのです。すべての救いがもうすでに完了したのです。今日はイースターです。イエス様がすでに完成してくださった救いのみわざの素晴らしさを覚えて心から主をほめたたえましょう。