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コラム 牧師の書斎から

2013年7月21日 澤村信蔵師

日韓歴史研究会に出かける時、心づもりをして出かけました。聞きたくないようなことが語られ、また謝罪をさせられるのかもなんてこともありうるのかと思いながら出かけました。でも、今年のテーマが戦後の15年ということもあって、思っていたようなことは全くありませんでした。韓国の戦後の教会の歴史を知る中で一番興味を持ったのは、韓国聖潔教会の合同の試みでした。日本でもホーリネス教会はなぜかさまざまなところで別れを経験し、いくつもの群れに分かれています。中田重治の流れにある教団は12もあります。(それできよめを語っているのですから不思議です)韓国では、二つに別れました。イエス教大韓聖潔教会とキリスト教大韓聖潔教会です。
別れた理由は、エキュメニカル運動に賛成するかどうか、特に自由主義神学の人たちと一緒にやるかどうかということでした。もう一つの理由は社会事業に積極的に加わるかどうかという問題でした。結局、自由主義神学の人たちとはともに袂を分かち、社会事業においてはともにその必要性を認めるようになってきた。そのような流れの中で、分裂の理由がなくなったということで教団の合同がなされていった。実際にはその後も分裂し、また合同をしと、一致することは難しいことには変わりありません。でも、常に一致を試みているその姿には感銘を受けました。同じ信仰を持つ者が一致するのは当然だという非常にシンプルな考えのもと一致の試みが続けられているのです。
おそらく、日本では教団の合同をしようとするときに、なぜ合同しないといけないのかということが最初に問われます。そして、そのことに終始して本当の一致が進まないように思えます。一致出来ない理由はないのに、一致をする理由を探し続けているのです。でも、それは教会の中でも同じことです。なぜ一致しないといけないのかと一致する理由探しをするのではなく、どうして一致できないのか、その理由を捜してみると、案外一致出来ない理由は見つけられないのではないでしょうか?私たちは主にあって家族なのです。私たちはさらに一致をして進んでいきましょう。