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コラム 牧師の書斎から

2013年9月1日 澤村信蔵師

私たちは、日常の中で、多くの不満や苦しみがあります。苦しみの理由、不満の理由は様々あるでしょう。でも、そこに共通するものもあります。それは「あるべき姿」と、「あるがままの姿」との間のギャップです。このギャップがあればあるほど苦しいのです。例えば、年収200万円であっても、心から感謝だという人がいます。自分の働きが150万しかないと自覚していたら、200万は感謝です。でも、1000万円もらっていても不満たらならの人もいるのです。自分は5000万もらえるはずなのにと思うと不満なのです。年収の多寡ではなく、「自分のあるべき姿」との「あるがままの姿」のマイナスのギャップに苦しむのです。といって、少ない給料で満足しましょうと言っているのではありません。でも、「今与えられているのは、本当に感謝だな。でも、もっと与えられたらそれに越したことはないなあ。」というのと、「今これだけしかないなんて。自分はダメだ。もっと稼がないと」というのは似て非なるものです。これはすべてのことにあてはまります。

私の好きな言葉に、「生きているだけで丸儲け。人間生まれてきた時は裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか。」という言葉があります。(誰が言ったのかはあえて書きません。でも、この言葉が好きだから、彼は自分の娘にいまると付けました。)でも、真理だと思います。自分が今ある、それだけで本当は幸いなのです。

実際、神様は、あなたにあるがままでいいよと語っておられます。私自身もそうですが、「あるがままの自分」を神様が受け入れてくださったと知って皆さんも喜びを覚えたことでしょう。でも、「あるがままの自分」を受け入れることができていないのは、案外自分自身なのではないでしょうか?

神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とあるがままの私たちを愛し、受け入れるだけなく、大きな価値をも見出しておらえるのです。神様がありのままで十分だと言ってくださっているのですから、今のまま、ありのままを喜ぶことを大切にしていきましょう。