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コラム 牧師の書斎から

2018年6月17日 澤村信蔵

「しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」Ⅰコリント12章23~26節
私たちの体には、いろいろな臓器があります。それぞれが役割を持っています。そして、不要だと思っていた臓器も実は大切だったということがわかりつつあります。例えば、盲腸を引き起こす虫垂は、昔は長いあいだ役割がはっきりせず、「進化の過程で機能が失われた、ムダなもの」と思われてきました。ところが最近の研究で、虫垂にはたくさんの免疫細胞が住んでおり、健康と深くかかわる「腸内フローラ」が良い状態に保たれるよう働いている可能性があることがわかってきました。実際、虫垂を除去してしまった後、大腸がんにかかるリスクが数年間2倍ほど増加することもわかりました。私たち一人一人も教会にあってそれぞれが体の一部で、私なんていてもいなくてもと思ったとしても、不必要な人など一切いないのです。なぜならそこには、大切な個性と価値観があるからです。私たちは自分の個性を大切にしましょう。神様が与えてくださったものに無駄なものも嫌なものもありません。自分の個性を認めつつ、さらにその良い部分を主にあって伸ばしていくのです。でも、個性だけが強くなるとぶつかってしまいます。その間をつなぐのは、神にあって一つの体であるという意識であり、その原動力は愛です。愛がないならば、個性は暴走します。でも、そこに愛があるなら、ともに尊重して生きていくことが出来るのです。