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コラム 牧師の書斎から

2019年7月14日 澤村信蔵

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6章18節)
 金曜日の夜、ふと携帯電話を見たら、ちゃんとつながっているはずの電話がつながっていませんでした。何があったのかわかりませんが、その日はどうすることも出来ず、寝てしまいました。次の日、もう一度OSをインストールするなどしてやってみると復旧しました。
でも、一日だけですが、金曜日の夜心が穏やかではありませんでした。電話以外のインターネットなどの機能は使うことが出来たのですが、肝心の電話が圏外になっていると心は騒いでしまいます。その時ふと思わされました。では、神様との電話が不通になっていたらわたしたちはどうなるんだろうと。神様は、私たちにいつもどんなときにも祈るように、語られています。それは、神様はいつ、どんな時でも祈りを聞いてくださるということです。
優秀であるはずの携帯電話も時には故障します。時には、携帯会社の中継基地などが壊れて広域で不通になることもあります。また、災害などが起きた時には、あまりにも多くの電話がかかるため、システムが落ちてしまうこともあります。でも、神への祈りは何があっても届くのです。誰がいつどこで、またどれほどたくさんの祈りを同時にささげても神は聞かれるのです。これは、私たちに与えられている最高の特権です。だからこそ、私たちは、祈りと願い、様々な方法を用いて神に語りかけるのです。時には、応えられないと感じる時もあります。でも、忍耐の限りを尽くして、神を待ち望んで祈るのです。