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コラム 牧師の書斎から

2020年6月21日 澤村信蔵

「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。」Ⅱテモテ2章3節
 先日、ある学びをする中で、牧会従事者になる時に、コミットする文章を読んでとても考えさせられました。一つ、一つの文章が結構ハードルの高いものでした。その中で一番チャレンジを受けたのは、「キリストのために喜んで苦しむように心がけます」というものです。苦しみは、誰しも好きなものではありません。「キリストのために、苦しみに会うこともいといません。」くらいの文章であれば、はいと言う気持ちがあります。でも、実際には、それさえも難しいと思う時があります。何とか苦しみは避けようという気持ちが働くからです。でも、もっと積極的に喜んで心がけるかと言われると考えてしまいました。皆さんはどうですか?でも、苦しみを喜んで選び取っている人もいます。喜んでというと少し語弊があるかもしれませんが、ある人は、喜んで苦しいダイエットをしています。ある人は、喜んで苦しいトレーニングをしています。どうしでしょうか。それは、その後にもたらされるものに期待するからです。その喜びを知ると、苦しみをも喜んで受け取ることが出来るのです。イエス様は、私たちを救うために、喜んでこの地上に来て下さり、十字架にまで従い尽くしてくださいました。そのイエス様の愛を思う時、私もイエス様のためであったら、いや、イエス様といっしょであったならば、苦しみの道をも喜んで選び取ることが出来るのです。