ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2021年3月28日 澤村信蔵

 イエスは答えられた。「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。 人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。(マタイ26章24~25節)

 今週、受難日を迎えます。そして来週はイースター礼拝です。先週はペテロについて記しましたが、もう一人忘れられないのはユダです。中には、イエス様を十字架につけるために生まれた来たのだとまでいう人もいますが、イスカリオテのユダはどうして弟子として選ばれたのでしょう。実際、イエス様自身も冒頭のみ言葉のように生まれて来なければよかったと言われています。そこまで言わなくてもとも思います。でも、イエス様はユダを弟子として選びました。一行のお金をユダに委ねました。これは信頼の証しです。最後の晩餐でも一緒に手を鉢に浸したということは、イエス様のすぐそばにいました。最後の最後までそばに置いたのです。それは、裏切ってほしいというのではなく、こう語ることによって、わたしの元へ戻ってほしいというイエス様の愛情ではなかったのでしょうか。十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。」との祈りはまさにユダにも向けて祈られた言葉だったのではないでしょうか。ユダの一番の失敗はイエス様を裏切ったことではありません。最後にイエス様の元へ戻らなったことです。絶望し、イエス様から離れる道を選んでしまいました。私たちは最後の最後まで愛してくださるイエス様の元へ何があっても戻りましょう。