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コラム 牧師の書斎から

2021年12月05日 澤村信蔵

 「あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。(マタイ20章14節)

マタイ20章には、不思議なたとえが書かれています。天の御国がぶどう園の主人にたとえられています。ぶどう園の主人は、手伝いをする人を一人一デナリで探します。朝早いうちから市場に出かけていって、労働者たちと契約をします。でも、この主人はそこで終わらず、また9時に、12時に、午後3時に、最後には日没前の午後5時にまで出かけていくのです。そして、最後に、5時に雇った人から順番に、一デナリずつ与えるのです。最後にならんだ、最初からいた人は、約束通り一デナリでしたから怒るという出来事が記されています。この話は自分をどの立場に置くのかということによって全然違って読めます。最初から働いていると思うと、後から来た人に対する不満が溢れます。自分は午後5時、最後になんとか間に合ったと思えば、こんなにすばらしい話はありません。でも、もう一つの見方があって、それは主人の立場から見るという見方です。主人からすると言いたいことはただ一つです。それは、どんな人であっても、同じだけ与えたい、祝福を与えたいということです。天国にどうにか入ってほしいその思いだけがあふれている話です。実際神は、私たちを何とか救いたいと今日も思っておられるのです。だからこそ、このクリスマスの時主イエスを私たちのところに遣わされたのです。今日も一人でも救いたいと願っておられる神様の思いを受け止めさせていただきましょう。