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コラム 牧師の書斎から

2023年3月5日 澤村信蔵

 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。(創世記21章17~19節)

 イサクが生まれ、イシュマエルがイサクをからかったので、ハガルたちは、アブラハムのもとから追い出されることになりました。アブラハムは、水を持たせて送り出しましたが、その水も枯れてしまい、ハガルは、自分の息子が死ぬのを見れなくて、イシュマエルから少し離れたところにいて、泣きました。まさに、絶望を感じたわけです。でも、そこに主が来てくださって、励ましを与えてくれました。希望を与えてくれました。それは、将来このイシュマエルから出るものが大いなる国民となるという神の計画という確かな希望です。その時、ハガルが目をあげると、井戸はすぐそこにあったのです。絶望だと思っていた時には、全く気付かなったことです。でも、希望をもって見出した時、そこに希望を見出すことができたのです。私たちが、神の完成の姿から、今の状況も見るなら、そこには絶望ではなく、必ず希望、光があるのです。なぜなら主は、必ず教会を完成されますし、私たちはその中に含まれているからです。ハガルのように、神の約束に目が開かれるときに、私たちは確かな希望を見出し、そして、具体的な道も見出すことができるのです。