コラム 牧師の書斎から
2024年10月6日 澤村信蔵
「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。」(エレミヤ5章1節)
祈祷会ではエレミヤ書を読んでいます。神様のことばを全く聞こうとしないイスラエルの民に、エレミヤが神のもとへ本当に帰らないと裁きを受けることを語り続ける書です。この冒頭の言葉は、神様がエレミヤに対して、町を探し求めて、公正を行う、真実を求める者を見つけるようにと告げられた言葉です。もし見つけたら、たった一人のために、エルサレムを赦そうとまで言ってくださったのです。その結果は、残念ながら一人もいなかったのです。あのソドムとゴモラを滅ぼすと言われた時に、とりなし祈ったアブラハムの祈りと重なるところがあります。あの時は10名いたら、滅ぼさないと言ってくださいました。確かに、神のみことばに本気で従う人は少ないことは事実です。でも、私はこの箇所を読みながら、私が神に本気で従うということがどれほど大きなことなのかと思わされました。そうなんです。たった一人の公正を行う、真実を求める者がいたら、首都であるエルサレムを赦してくださるのです。この通りではないかも知れませんが、たった一人あなたが神に本気で従ったら、神様はその一人の故に、あなたの家庭を、町をあわれんでくださるのではないでしょうか。少ないクリスチャンでもいいのです。いや、たった一人でもいいのです。あなたが本気で神に従う時、家庭が、町があなたの故に変わるのです。



