コラム 牧師の書斎から
2024年11月3日 澤村信蔵
「ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、娘である私の民の殺された者たちのために 昼も夜も、泣こうものを。」(エレミヤ書9章1節)
今日の礼拝のメッセージの中で、人々が人の子は誰かと言った中の一人が、エレミヤです。このエレミヤは、聖書ではないのですが、外典と呼ばれるマカバイ書の中で、エレミヤがバビロンによって神殿が崩壊する前に、契約の箱を隠したという記事が出てきます。(Ⅱマカバイ2章1~7節) でも、隠した場所は秘密でしたので、後に誰もどこかはわからなくなってしまいました。だから、メシアが登場した時に、エレミヤがもう一度帰ってきて、契約の箱を元に戻すと考えられていたのです。人の子が誰かと言う時に、エレミヤの名前があがるのはそういう理由です。でもこのエレミヤは、その他にもイエス様と共通点があります。それは、彼は涙の預言者と呼ばれ、冒頭のことばにあるように、大泣きをしたのです。それは、これからバビロンに捕囚されていくイスラエルの民のためです。しかも、その民は、エレミヤが何度語っても耳を傾けようとしないで、結果的に滅んでいく民です。エレミヤはそれでも、彼らが滅んでいくことを痛んで、まだその実現を見ていないのに、彼らの未来を思う時、涙を流したのです。それはイエス様も同じですね。滅びゆくエルサレムのために泣かれました(ルカ19章41~44節)。イエス様を拒絶して滅んでいく彼らのために泣かれるのです。私たちはどうでしょうか?滅びゆく人々のために、愛する者のために、どれだけ涙を流しているでしょうか?今日もあきらめずに福音を語り続けましょう。



