コラム 牧師の書斎から
2024年11月10日 澤村信蔵
「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」(使徒5章41~42節)
使徒5章には、使徒たちをとらえて留置場に入れたことが記されています。その後、神様の不思議な導きの中で、牢から解放されたのですが、釈放されるや否や、すぐさま、宮で福音を伝えて、再度、最高法院で裁判にかけられるのです。最後にガマリエルという当時の第一人者が、「もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。」(38~39節)と語り、しぶしぶ釈放することになりました。最後に、もう一度イエスの名によって語ってはならないと釘をさされて釈放されたのです。一度目は、神様の奇跡によって、二度目は、ぎりぎりの状況でようやく釈放されたのです。皆さんだったらそういう状況だったらどうしますか?しばらく様子を見たり、別の場所で福音を伝えるということをするのではないでしょうか?でも、使徒たちは、御名のために辱められるに値するとされたことを喜んだのです。イエス様の味方とされることを心から喜ぶのです。そして、家だけでなく、捕まった宮でも、堂々とイエスがキリストであると宣べ伝えることをやめなかったのです。弟子たちにとってイエス様を伝えることは何があってもやめられないことだったのです。私たちも、イエス様を何があっても伝えていきましょう。



