コラム 牧師の書斎から
2025年4月13日 澤村信蔵
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」 (Ⅰサムエル3章9節)
耳は目とともに老化を感じやすいものです。段々、耳は聞こえなくなります。ただ、不思議なことに、私の父もそうですが、一対一で面と向かって話す時には、まだ聞こえるそうです。でも、後ろから声をかけられたり、集中していないと聞こえないそうです。心を向けたら聞こえてくる言葉があるのです。
神様の声もそういうことがあります。Ⅰ列王記19章11~12節にありますが、エリヤが神の声を聞いた時、激しい大風や、地震、そして火の中には主はおらませんでした。主の声をがあったのは、火の後、かすかな細い声でした。私たちには、主の声が大声で、他の何をしていても聞こえてくることは、案外少ないのです。細い声なので、心を向けていないと聞き凝らしてしまうのです。私たちが「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」と求める時、初めて主の声を聴くことが出来ることがあるのです。でも、普段の生活の中では、神の声に耳を傾けることよりも、他のことを優先してしまっているのではないでしょうか神の声があったとしても、聞き洩らしていませんか。今日私たちは、ここに礼拝をささげるために集まってきました。今日、主の声を聞く準備は整っていますか?礼拝を始める前に、みことばを聞く前に、「主よ。お語り下さい。しもべは聞いております」と主の前に出て行こうではないでしょうか。



