コラム 牧師の書斎から
2025年5月4日 澤村信蔵
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』(マタイ20章15節)
皆さんは、神様は、どんなお方だと思っていますか?このたとえは、マタイ20章にありますが、ぶどう園で働く者を養う者を雇う家の主人が、朝早くから出かけて、一日一デナリで労働者を雇いました。その後も、9時、12時、午後3時、5時と何度も出かけて雇いました。最後に、朝早くから雇われて働いた者と夕方に雇われた者の報酬はどちらも一デナリでした。早くから働いていた人にとっては、約束通りの支給ですが、不公平に感じました。確かに不公平にも思いますが、どうして最後の人も同じだけもらえたかというと、主人が、気前の良いお方だからです。神様は、この主人のようなお方です。朝早くから働いていた人がもらったのは、働きの報酬です。自分の行いの報酬として天の御国に入れてもらえる人もいるかも知れません。でも、天の御国に入る人は、それだけではありません。自分の行いではなく、イエス様を信じるだけで天の御国に入られるのです。まさに、何の働きもない最後の人のようなものです。それでも、同じ報酬がもらえるのです。それは、神様がなんとか天の御国に来てほしいと願っている気前のいいお方だからです。だから、神様は、この主人のように何とか私たちを救いたいと何度でも出かけて私たちへ声をかけて下さるのです。自分の行いではなく、主イエスを信じるだけで救われる、この素晴らしい福音の恵みを今日受け取りましょう。



