コラム 牧師の書斎から
2025年6月29日 澤村信蔵
もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。(ダニエル書3章17~18節)
昨日、聖書を学ぶ会でダニエル書を一緒に読みました。ダニエル書は、大きく分けると前半の1~6章は、歴史的な出来事が、7~12章は、預言的な出来事が記されています。後半の部分はバビロンから始まり、メディアとペルシャ、ギリシャ、ローマ、そして、最終的な神の国までの預言が書かれています。また、前半には、さまざまな奇跡が記されています。冒頭の言葉は、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝まなければ火の燃える炉に投げ込むぞと王から直接迫られたシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが王に答えた言葉です。彼らは、神の力、守りを信じました。いのちをかけて従い通したのです。それだけではありません。たとえそうでなくても、神に従うと語るのです。たとえいのちが奪われたとしても神に従うと信仰の一歩を踏み出したとき、神が彼らを守ってくださったのです。そして、この時火の中にいたのは、もう一人、4人目の人がいました。それは、受肉前のキリストだと言われています。私たちの主は、まさにその苦しみの真っただ中に来て救ってくださるお方なのです。私たちが信じているのは、この主です。どんな中からも救い出すことが出来、またその苦しみの中に来て下さる主です。今日もこの主をあがめていきましょう。



