コラム 牧師の書斎から
2025年8月3日 澤村信蔵
そのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6章21~23節)
昨日、梅田兄の納骨式を行いました。葬儀などクリスチャンの死を深く覚える時、本当に幸いだと思うこと、それは悲しみは確かにありますが、主キリスト・イエスにあり、永遠のいのちを持ち、今その魂は神の御前にあるという事実です。一人ひとり行いだけを見ると、もしかしたら、神の国にはふさわしい実を結んでいないと思うこともあるかもしれません。むしろ、恥ずかしく思う実があるかも知れません。実際、私は本当に天国へ行けるんだろうかと聞く人もいます。私自身も、自分の行いだけを見るなら、神の前に立つことが出来るものであると確信をもっていうことはできません。その行いの実を自分で刈り取れと言われると、もう「ごめんなさい」以外の言葉は出て来ません。でも、主イエスを信じた者の幸いは、主イエスが十字架にかかって、すべての罪を贖ってくださり、その主イエスを信じたということの故に、賜物(プレゼント)として永遠のいのちを与えて下さっているのです。これは、信じるすべての人に与えられるのです。だから、主イエスを信じる者は幸いなのです。この幸いをまだ知らない人に伝えていきましょう。



