コラム 牧師の書斎から
2025年10月19日 澤村信蔵
わがたましいよ なぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。 私の神よ 私のたましいは 私のうちでうなだれています。それゆえ私はヨルダンとヘルモンの地から またミツアルの山からあなたを思い起こします。(詩篇42篇5~6節)
このことばは、週報に記されている先週の土曜日の箇所でした。うなだれてしまっている自分のたましいに向かって、神を待ち望め。私は神様をほめたたえるのだから。神様を見上げて立ち上がれと語りかけているのです。でも、そのすぐ後、神さまに向けて、まだたましいがうなだれていることを認めているのです。苦悩し、自分で自分を奮い立たせようとし、立ち上がろうとしても立ち上がることが出来ない現実があるのでしょう。私たちもこういう時がありますね。頭では分かっているけど、立ち上がれない。神を待ち望めばよいとわかりつつもできない時がある。そんな時、この詩篇の作者は、神を思い起こしているのです。今までどんな恵みがあったのか。どれだけ神に愛されてきたか。「昼には主が恵みを下さり 夜には主の歌が私とともにあります。」(8節)そんな時があり、今は感じることが出来ないけれど、主は確かに今も恵みを注いでくださっていることを思い起こしたのです。そのことを知る時、ようやく立ち上がることが出来るのです。立ち上がることが出来ない時も神を思い起こしましょう。



