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コラム 牧師の書斎から

2025年12月07日 澤村信蔵

 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』 それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。」(マタイ1章22~23節)
 イエスという名前は、「主は救い」という意味です。他にもさまざまな呼び名があり、それぞれイエス様がどんな方であるかを示しています。イエスと名付けなさいと主の使いが語った後に、マタイは冒頭の言葉を記しています。聖霊、つまり神の霊によって胎に宿ったとは、イエスが神の子であり、神であるということです。そしてその神が私たち人間の姿となって、「私たちとともにおられる」のです。私たちを見放し、私たちの苦悩など気にかけもせず、遠くから眺めているのではなく、私たちのすぐ側におられる・・これは素晴らしい知らせですね。そして、マタイによる福音書は、この「神が私たちとともにおられる」ことが繰り返し示されて、復活後のイエスが天に戻る前に語った次の言葉で締めくくられています。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)この「ともに」は、時間にも空間にも制限されるものではありません。いつも、どこにあってもです。イエス様は弟子たちと一緒におられただけではなく、現代の私たちとも「世の終わりまで、いつも」ともにいてくださるのです。そのために、まずクリスマスの時に私たちのところに来てくださったのです。このイエス様とともにこの新しい一週間もともに過ごしましょう。